11.ドラマ
ドラマドラマ♪裏ドラ どらま!♪
  1. Machine Messiahマシーン・メシア
  2. White Car白い車
  3. Does It Really Happen? 夢の出来事
  4. Into the Lensレンズの中へ
  5. Run Through the Light光を超えて
  6. Tempus Fugit/光陰矢の如し
Trevor Horn: Vocals & bass on 5
Chris Squire: Bass, vocals, and piano on 5
Geoff Downes: Keyboards
Alan White: Drums
Steve Howe: Guitars
Jun Green

 

Jun Greenのドラマ 2

『トレバー&ジェフに敬礼!』

 トレバーホーン・・・私、はっきり言って「好きです」が、まず明確にしておきたいのは、バグルスを「テクノポップ」ではなく「キーボードサウンド」として好きだったのです(なんといってもあの日本のプログレ伝導師・難波弘之も当時学習教材として「バグルス1st」を講義で使用していた)。そして前後してのYes加入劇・・・そりゃ偶然スタジオが隣り合せたとはいえ「ギター・ベース・ドラムの無いユニット」と「ボーカルとキーボードを失ったバンド」が合体するなどと・・・しかも当時の時風ならば「流行産業音楽ユニット」と「前時代の遺物バンド」の組み合わせとは(しかし、ディスコビート・ブロンディに某プログレ・カリスマギタリストが参加したのも当時だったなぁ)。そして出た「Drama」は私にとってなんと「危機」に並ぶ「愛聴率」をいまだに誇る状態です。

 なぜか、それは前述の通り「キーボードサウンド」の良さに「プログレ指数」の高い楽曲が結び付いたからです。MIDI時代直前のデジタル化しつつある「ポリシンセ」を見事なまでに駆使した音作り、特に「Machine Messiah」のイントロのポリベンドダウンの刺激は、Rainbowの「Spotlight Kid」でのドンエイリーが演った「魅せるポリベンドソロ」と同じ「アマチュアのあこがれサウンド」でした(当時まともにこのサウンドをだせるには一番安いシンセでも98万した・・・)

 「ポリシンセ」のおかげで「クリスとスティーブの弦楽コンビ」は単音ユニゾンリフを弾いていても、キーボードの片手分の和音で充分なサウンドバッキングが得られ(そう、今で言うパットサウンドの時代の幕開けだった)、リックウェイクマン時代とは違うサウンド構造がそこにあった(特にスティーブハウはその「恩恵」で音の厚みを気にせずバリバリ弾きまくっている)。そしてテクノサウンドの代名詞の一つであった「ボコーダー」を前面に打ち出した「Into the Lens」のアレンジなどは「古典プログレファン」からは非難の対象になったのも覚えています(でもねぇー「ムーグ」は認めて「ボコーダー」は駄目などというのはひどい楽器差別だなぁ)

 また、プロモビデオや当時のライブ音源で確認するとジェフダウンズは「リックウェイクマン時代」の音の再現の為、わざわざ同じキーボードを揃えた上で「ジェフダウンズ時代」のキーボードを積み上げるという「物量作戦」するかたわら「リックウェイクマン時代のテープサウンド」の代用として「当時日本サラリーマンの平均年収2年分のデジタルシンセ・フェアライト(このマシンのサンブリング機能がきっかけでロンリーハートの「オーケストラ・ヒット」サウンドが生まれた名器!!)」を駆使し「危機」のテープパートをセルフコントーロールしたり、「 White Car」のシーケンスを操っていた(この技法は後のAsia in Asiaのビデオでもみられる・・・ちなみにそこで使用された「シタール」みたいな音はGTR1Stでも多用されている)
 これ以上の進化は無いと思える程の万能ギタートリオ」と80年代の「まだまだ無限の可能性を秘めたデジタルキーボードを使いこなすプロデューサー感覚のプレイヤー」の象徴とも思えるのです。1979年当時「Buggles 1st」があれだけ実験的ながらもPoP感覚を保っているのには驚き、そしてその感覚が全盛期のYesへのオマージュともいえる「Drama」に反映されていると思う。Yesの大ファンだった二人が「少し外から物を見る・・・」いわゆる「プロデューサー感覚」で最盛期のYesのエッセンスと時代のテクノロジーをもって作り上げた作品。でも不幸だったのは「Video Killed」の大ヒットのレッテルが「プログレ」には許されなかったという時代の流れ・・・。もし、当時「無名の二人が大抜擢!!!」といった形で「Drama」に参加していたならきっとプログレの系譜が変わっていたことでしょう。「Drama」が残したのはジェフ&トレバーは「プレイヤー」よりも実は「偉大なるプロデューサー」であったことをしらしめると同時に、Buggles反対派によるトレバーホーンの「ライブ拒否症」を引き起こしたという悲しい事実だけです。もしトレバーホーンが「ライブ拒否症」にならなければ、80-90年代には「Buggles Japan Tour」なんぞも期待できたのに・・・。


 あら、話がジェフダウンズに片寄ってしまったなぁ! 肝心のトレバーホーンに関して書きます。

 とりあえず楽器好き人間でレコーディングとかに興味を持つと色々な音楽の構造が見えてくるものである。私も曲がりなりにミュージシャンもどきや、レコーディングエンジニアをやっていた経験上、時々ひねくれた音楽の聴き方してしまうのは悲しい性である。そんな「ひねくれた」耳を一番80年代に驚かせてくれたのがトレバーホーンであった。

 ボーカリストとしても力量は十分、ベーシストとしてもナイスなグルーブ(Buggles2ndを聴け!! 只のリズムボックスのビートでも彼の非凡なベースが絡むとノリノリになる、当時リズムボックスとの対話でテクノ以外のリズムを作ってヒットしたのはフイルコリンズかホール&オーツぐらいしかいなかった)を生み出す彼が、プロデューサーとして最も才能を発揮するとは・・・それはYesで「ジョンアンダーソンの物まね」を強制・拒否されたばかりに「ライブ拒否症」に陥り、その反動として、「非ライブ、ずばりスタジオワーク」でその才能を開花させた時代。何よりも、その「彼」が90125Yesキーパーソン(本人いわくクリススクワイアへの恩返し的行動だったらしいが・・・)となったが、「ライブ拒否症」のおかげでその再結成Yesの手柄がまるですべて「Yes初のGood-Lookig!トレバーラビンのモノ」の様に評価されていることにちょっと不機嫌な私であった。もし「シネマ」のボーカルとして迎えられていたならばどうなっていたのか・・・。

 トレバーホーンは70年代Yes の持っていたものを再構築するのに努力したが、トレバーラビンは70年代Yes の「ジョンアンダーソンの声」以外のすべてを否定して新たなYes を模索したような感がある(Love will find awayでは「Yesをバックバンド化させたトレバーラビンの影」が見え隠れする様な気がする・・・そして Talkは露骨にそれを感じる。ジョンアンダーソンの声を90年代に一番アレンジしたのがトレバーラビンかもしれないが、それにYesの登録商標を安易につけるためにクリス&アランを起用し、デジタル&MIDI時代の恩恵で「ライブでレコード通り弾けるキーボード」ならばメンバーにする・・・トニーケイより旨くリックウェイクマンよりワガママでないのが条件)。特に「Big・・」は「時代の最先端アレンジャー」のトレバーホーンの出番は減り(共同プロデューサーが増えた為?)、「保守的なアレンジャー」のトレバーラビンによる「プログレ度の低いポップなボーカルアレンジ」にも聞こえる。特にジョンアンダーソンのVoパートの少なさは特筆に値する。そしてこの頃、 トレバーホーンの数少ないTV等への露出はGogley&Cremeの「Cry」のプロモビデオのラスト1カットを最後にして終わる。その後、時々グラミーとかのイベントの「招待客」(!!)のシートに収まっているのを見るぐらいで、是非Vo&Bassとしてステージに立った姿を見たいものである。最近Art of Nouseが再始動、きてくれ!!!NIPPON!!!!!!!!

(Jun Green)

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DATE(2001/6/9)