9.究極

1977

  1. Going For The One /究極
  2. Turn Of The Century /世紀の曲り角
  3. Parallels /パラレルは宝
  4. Wonderous Stories /不思議なお話を
  5. Awaken /悟りの境地
Jon Anderson: Vocals
Chris Squire: Bass and vocals
Rick Wakeman: Keyboards
Alan White: Drums
Steve Howe: Guitars
大将軍
LAKESIDE
(6・16修正)
センデロ
     
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大将軍の究極

イエス 「究極」 1977年作品

by大将軍

 アラン・ホワイトの「ほんじゃ、行くかんね」というカウントとともにハウの唖然とするロックンロ−ルのリフとへんてこなクリスのベ−スライン。当時、リアルタイムで発売を迎えた私には初めて聴くイエスのアルバムであった(当時14歳)。
 ミュ−ジックライフ、音楽専科等に載ったレビュ−「ス−テイ−ブ・ハウの弾くスライドギタ−のオ−プニングにびっくりした」という記事が印象に残るが、正統的イエスファンには「海洋地形学」「リレイヤ−」のあまりに長い大作とライブで繰り広げられるスタジオ盤とまったく同じ演奏を期待する方々には唖然の出だしだったに違いない。

 今でこそ分裂、出戻り、同窓会、何でもありのイエスだが、当時はやっと黄金期のメンバ−での久しぶりの録音であった。ジャケットもヒプノシスの「見た目勝負」の野蛮人高層ビルに挑むといったカバ−の3面開きであり、いやがおうにも期待は膨らんでいたはずだ。

タイトル曲である「GOING FOR THE ONE」

 冒頭に書いたように、ハウのイントロのへっぽこさと途中のギタ−ソロのバックでホンキ−トンクにピアノを叩くウエイクマンの姿に肩を落とした人も多かったようだが、楽曲的には曲が進む毎にイエス独特のサウンドに収束してくるのがわかる。
サビであるのは「GOING FOR 〜」と唄われる部分より「LISTEN IN TIME!」と流して行く部分からの第2のサビが真実と気づくなら、このアルバムが非常に意欲的に、イエスサウンドをコンパクトにまとめたこれからの出発点サウンドを象徴する曲だと理解できるだろう。フェ−ドアウトで終わらせなかったエンディングも潔い。

 私が売り手として各国のプログレ・フォロワ−を紹介するときに「イエス的な」という表現を使用する事があるが、その場合の私の判断基準は下記の通りである。

1. キ−ボ−ドの音色、特にシンセの音の鳴り具合がキ−が非常に高く透明な事

 これはアメリカン・プログレ(スティックス、スタ−キャッスル等)の明るいバンドに影響大

2. 演奏が交差し拡散し収束する事

 この部分のダイナミックさにイエスの魅力を語る人が多いはずだ。これはアンダ−ソンの透明かつ力強い声がメロディを繰り返す。その後ろで各メンバ−が力の限り拡散し交差しながら
演奏して最後に収束するといった、独特の楽曲と演奏形態を持っている

3. ジョン・アンダ−ソンの声やコ−ラスと牧歌的もしくは古楽的なアプロ−チ

 以上のような点が見いだされた場合に「イエス的な○○な展開」と表現することがある。あとクリスのゴリゴリベ−スというのもあるが…

さて続く「TURAN ON THE CENTURY」

 これはイエスのファンに、「こういう感じでも小曲としてまとめることもできる」という宣伝曲のようだ。ハウのお得意のアコギが美しいのはいうまでもないが、実はあまり面白くなかったりする。

「PARALLELS」

 後の産業プログレ勢が好んで使う、キ−ボ−ドによるぶ厚いリフを印象的に繰り返すキャッチ−な楽曲。ここでも再三話をしているイエスのダイナミックさが爆発する。うまいんだかヘタなんだかわからないハウの歪み具合も心地よい。瞬間演奏がブレイクしてアンダ−ソンの声が木霊するあたり正にこのアルバムの最大の聞き所ではないだろうか?

「WONDEROUS STRORIES」

 実は個人的には、究極の中ではこの曲とタイトル曲の2曲で十分なのだ(勝手な話だが)このアコ−スティックな楽曲の調べには、イエスのフォロワ−が英国などより大陸的な大雑把な国多いという事実があるように、脳天気で牧歌的な明るさが満載した曲である。
ウエイクマンの弾く鍵盤の音は非常にクリアで高い音質を使っている。脳の上の方でキ−ンと鳴る音でうるさい。ハウの音もアコギならばチェンバロみたいな古楽音色、エレクトリックでもポジションを相当上の方のスケ−ルを弾きまくりカモメのようにうるさい。全体的には透明でもうるさいという奇妙なバンドである。

 A面をコンパクトにまとめたがラストの「AWAKEN」はさすがに15分台の大作を用意した。正当イエスファンは冒頭のウエイクマンの鮮やかなピアノに溜息することだろうが、このアルバムでは凡庸な曲の印象しか受けない(私にはね)。リレイヤ−でモラ−ツがかなりジャズ的なアプロ−チをした部分、この大曲ではもっと弾きまくって欲しかったんだろうな<イエスファン

 さて、この後に世界を襲うパンク&ニュウエ−ブ。テクニックと構築美を否定されて多くのバンドが行き場を失う事になるが、既に77年には英国では同時進行で音楽の変革が実施されていた
はずである。このアルバムが数年遅れ、また録音も脳天気なスイスで録っていなかったら、いったいどんな仕上がりになっていたんだろうか?あまり語られることがないアルバムだが傑作。

ハウのスライドギタ−は笑って許そう。

(大将軍)

HP:通信販売オレンジパワー/虎の穴

DATE(2001/5/26)

 

LAKESIDEの究極   (6・16修正)

「究極」レビュー 

 しょっぱなから謝らなければならないことがあります。実は、この作品今までに2回ほどしか聴いていない。しかもレム睡眠中に。軽はずみにオファーを受けるもんじゃありません。でも、せっかくの機会なので聴きなおしてみました。
 ノンレム睡眠モードで。。。意味ないじゃん。



 ロック史上名作中の名作「危機」以来、傑作ライブ「イエスソングス」、80分以上の壮大なスケールの子守唄「海洋地形学の物語」、そしてカルピスの原液のような超高濃度ロック「サウンドチェイサー」を輩出した「リレイヤー」から3年経っており、「究極」では何をやらかしてくれるか楽しみであった。しかも、怪人銀ラメマント男リック・ウェイクマンの復帰と来たもんだ。これまたプログレ界変人中の変人ジョン・アンダーソンとのタッグが復活と期待するものは大きい。パトリック・モラーツはソロ作品で自信を得てイエスを卒業したが、考えてみるとイエスは練習の鬼で有名なバンド。もしかしたら、ブラッフォード氏と同様に「虎の穴」もしくは「戸塚ヨットスクール」から逃げ出したかったのかもしれない。

 ところで、今回ジャケのデザインがロジャー・ディーンから、ヒプノシスに変わっている。ロジャー・ディーンのジャケットはジョン・アンダーソンのヨッパライのような世界観イエスのアルバムのコンセプト、もしくは「危機」のように当時のメンバーの気分みたいなものが具現化されており、私のようなライトなリスナーでも何となく意図は読めるものであった。ところが、ヒプノシスの手による「究極」は全く意図が掴めない。薄っぺらな構想ビル群、ケツ出し全裸男、鈴木英人のイラストみたいな蛍光色の帯。う〜む、私のような凡人には理解できん。そのくせ、イエスロゴはディーンから継承しているし、中途半端やなあ。




 時は1977年、パンクムーブメントの吹き荒れる中、イエスも何とかしなければ。
 





そして、ハウのギターから始まる「究極」。









てれれてれれてれれれ〜〜。



















なんじゃこりゃあぁぁぁ!!



てれれてれれてれれれ〜〜。






















拝啓、ジョン・アンダーソン様

ジョンさん、あなたのやりたい事ってこれなんですか。

それでは、あまりにも面白すぎます。

でも、爆笑オンエアバトルなら、オンエアは無理でしょう。







 このハウの冒頭ソロだけがどうもアルバムからアイソレートしている。
でもインパクト十分であることも確かだ。もっとロックらしいものをやりたかったんだろうけど、意気込んだあまりに自爆してしまった。
 ということで、このギターソロで「究極」のイメージを決定してしまった。


 
これにてレビューおしまい。








 えっ、こんなフザケタ形でレビュー終わらせるなって?
しょうがないですね。もう少し続けましょう。

 アルバム中の楽曲全体がソリッドに感じます。それが時代の流れもあったり、機材の進化が起因していると思うのすが、特にウェイクマンのキーボードから伺うことが出来ます。
静かなナンバー「世紀の曲がり角」「不思議なお話を」にしても「同志」あたりに比べるとウェットな感じは薄くなったような気がします。
 一方、ジョンのクリスタルヴォイスとクリス・スクワイアのゴリ押しベースは健在だったりします。クリスの作品「パラレルは宝」は「どんなに時代が変わろうがイエスはイエスなのさ」ということを語りかけてくれるようです。それに十分にロックなナンバーだと思います。私はこの曲で「究極」のダメージを癒すことが出来ました。

 そうなんです。結局のところクリスがいればイエスになるんです。
 職人肌のクリスがリーダーじゃなかったらとっくにイエスは空中分解でしょう。他のメンバーは脱退しても代えが効いたが、クリスだけは代用が効かなかった。あのジョン・アンダーソンがいなかったときも2人のトレヴァーで何とかなった(?)じゃないですか。クリスの代わりをあえて言うならジョン・キャンプなんだろうが、ほら、彼って嫌われ者だし。ルネッサンス再結成のときも声かけて貰えなかったくらいに。

 私にとってのアルバム「究極」は、1977年というプログレ・HRにとって逆風であった時期に彼らがどのように取り組んできたかを確認する作品であり、一方、ソリッドな作風に変換しつつも根本的にイエスは何も変わっていなかったことも確認した作品でもありました。

 それと、やっぱりクリスのベースはええのう。ということで。

 以上っ







このレビュー詠んでくださった皆様、怒んないでね。

(LAKESIDE)

DATE(2001/6/11)

 

センデロの究極

『Going For The One』

 邦題「究極」と題されたこのアルバムは、大規模全米ツアーを成功させた76年9月以降にモントルー(スイス)のマウンテン・スタジオでレコーディングが行われ後にバンドの恒例行事となる脱退、出戻り(再加入)騒動のさなか製作が進められ、1977年7月に発売された……ある意味では、問題作というべき代物である。

 前任リック・ウェイクマンの穴埋めとして加入したスイス人Keyパトリック・モラーツが脱退を表明し、その穴埋めにリック・ウェイクマンが再加入するという何ともややっこしいメンバー交代が行われ、セルフ・プロデュースということもあって、さながらレコーディング現場の人間関係はドロドロ…だったかは、知る由もないが…。

 サウンド的には、前作(Relayer)まで続いてきた大作の楽曲構成を捨てる決心をしたのか、唯一の大作『Awaken』を除き、短い曲を主体とするモノへとなっている。
まぁ、短いといっても8分弱はあるのだが、YESの楽曲としては……やはり、物足りないように思えてしまうのは私だけではあるまい。
 レコードセールス市場として、最大のマーケットであるアメリカでのツアーなどの体験から、大作構成のアルバムへの行き詰まりを感じてしまったのだろうか。
 YESの新しい方向性として彼らが選んだのが、ごく一般的な小曲構成のアルバムであったとは……初心に戻って…と言うことではあるまいが、今に思うと本作は、これ以降続くことになる小曲構成のアルバムのための、用意周到な前振りの様にさせ思えてくる。

 しかしながら、これ以降のツアー演奏リストの定番には、ファンの熱い要望に応え、これまで通り古い大作楽曲が演奏されている状況下で、新生YESの変革へのハード・ランディングは、ソロ活動が一段落したこの期を逃してはなかったのかもしれない。

 また、それまでバンドのヴィジュアル面を担っていたロジャー・ディーンを首にし、当時飛ぶ鳥を落とす勢いのア−ト集団ヒプノシスにアルバム・ジャケットのアートワークを依頼する事となる。
 その辺りの経緯についてはよく分からないが、新たな方向性を打ち出した本作のヴィジュアルに、彼らのアート・ワークを採用した事自体は、間違った選択ではなかったと思うし、70年代中期のヒプノシスの仕事を知る者としては、何となく理解出来る気がするが……。
 しかし、この時期のヒプノシスにジャケットのアートワークを依頼したこと、そのものが彼らの躓きの第一歩だったのではないか………と私は考える。

 1977年から78年にかけてのヒプノシスのアートワークは、はっきり言って駄作が集中しているのである。「駄作」という言葉が悪ければ、「仕事が荒れている」と言い直すべきか……。
 言い掛かりと言ってしまえばそれまでだが…、要するにYESの「Going For The One」のアートワークは「やっつけ仕事」じゃぁなかったのか……と言うことなのだ。

Heavy Metal Kids / Kitsch (1977)
BRAND X / Moroccan Roll(1977)
YES / Going For The One (1977)
Renaissance / A Song For All Seasons (1978)
Todd Rundgren / Back To The Bars (1978)

 これ以外にも、この時期にヒプノシス手掛けたアート・ワークはあるが……、先にあげた作品はどれも、ヒプノシスのアートワークの特色である『ゲイトフィールド(見開き)』を使いながら、ゲイトフィールド・デザインを活かしきっていないモノや、中途半端なコラージュでお茶を濁したようなものばかりに思えてならないのである。(ちょっと言い過ぎかな…?)

Heavy Metal Kidsのアルバム・ジャケットについてもヴィジュアル・コンセプト自体は、フロイドのアルバム用に作られ、ボツになったものを使い回したものであるというようなウワサも囁かれているらしい………私は本当の話であると考えている。

(息詰まったデザイナーがよくやることである。私もたまにやるので、そのような事をやってしまう気持ちがよく分かる。)

YES / Going For The Oneのヴィジュアル・イメージは、ビル群はヒプノシスが以前手掛けたQuatermass / Quatermass(1970)から…そして後ろ姿の裸体男はBRAND X/Moroccan Roll(1977)からのイメージ借用、アレンジではなかったのか…?
 3面見開きの特殊ジャケットでありながら、何の捻りもないアートワークや中面の斜めに配置したバンド・メンバーの安直な写真レイアウトについてはRenaissance /A Song For All Seasons (1978)でも、多少アレンジされているが再び登場していることを付け加えるおく……。(私なら、最低でも3年は寝かせるぞ……。)

 なお、付け加えるならば、ヒプノシスによるアートワークはロジャー・ディーンが製作したロゴマークにも手を入れ、中途半端なアレンジをしたロゴマークを使用するといった有り様で、ヒプノシスのやりたい放題であることも私は気に入らない点である。
結局はこの中途半端なアレンジをしたロゴマークを使用したアルバムは、本作品と次にリリースされる『TORMATO』だけであったのは、YESファンとしては喜ばしいことである。

 この時期のYESには、ヒプノシスのネームバリューが必要となる程に、追い詰められていたとは思えないが、この様なやっつけ仕事(アートワーク)でありながら、何故YESのメンバーは了承したのであろうか。
本作のジャケット・デザインに違和感を覚えるのは、私だけではあるまい。

 ここいらの事情については、やはり先に述べたメンバーの脱退、出戻り騒動によるゴタゴタによって、新生YESの変革としてヴィジュアル・イメージ面での新たな方向性について纏め上げるだけの時間的ゆとりがなかったのだろうか……。それとも、アルバム・イメージを引きずって行われる大規模なツア−自体そのものに、彼らが疑問を持ち始めたのかもしれない。
 ともあれ、このアルバムは、前年には13万人を動員した全米ツアーを大成功させ、メロディ・メーカー誌の人気投票でも8部門制覇という名実共にスーパーバンドとなったYESが、プログレッシヴロック・バンドであるが故、見失ってしまった方向性を模索しあがく姿が感じられるような、大変興味深い作品であると私は思うのである。

センデロ・ルミノソ 

DATE(2001/5/26)

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