「究極」レビュー
しょっぱなから謝らなければならないことがあります。実は、この作品今までに2回ほどしか聴いていない。しかもレム睡眠中に。軽はずみにオファーを受けるもんじゃありません。でも、せっかくの機会なので聴きなおしてみました。
ノンレム睡眠モードで。。。意味ないじゃん。
ロック史上名作中の名作「危機」以来、傑作ライブ「イエスソングス」、80分以上の壮大なスケールの子守唄「海洋地形学の物語」、そしてカルピスの原液のような超高濃度ロック「サウンドチェイサー」を輩出した「リレイヤー」から3年経っており、「究極」では何をやらかしてくれるか楽しみであった。しかも、怪人銀ラメマント男リック・ウェイクマンの復帰と来たもんだ。これまたプログレ界変人中の変人ジョン・アンダーソンとのタッグが復活と期待するものは大きい。パトリック・モラーツはソロ作品で自信を得てイエスを卒業したが、考えてみるとイエスは練習の鬼で有名なバンド。もしかしたら、ブラッフォード氏と同様に「虎の穴」もしくは「戸塚ヨットスクール」から逃げ出したかったのかもしれない。
ところで、今回ジャケのデザインがロジャー・ディーンから、ヒプノシスに変わっている。ロジャー・ディーンのジャケットはジョン・アンダーソンのヨッパライのような世界観イエスのアルバムのコンセプト、もしくは「危機」のように当時のメンバーの気分みたいなものが具現化されており、私のようなライトなリスナーでも何となく意図は読めるものであった。ところが、ヒプノシスの手による「究極」は全く意図が掴めない。薄っぺらな構想ビル群、ケツ出し全裸男、鈴木英人のイラストみたいな蛍光色の帯。う〜む、私のような凡人には理解できん。そのくせ、イエスロゴはディーンから継承しているし、中途半端やなあ。
時は1977年、パンクムーブメントの吹き荒れる中、イエスも何とかしなければ。
そして、ハウのギターから始まる「究極」。
てれれてれれてれれれ〜〜。
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なんじゃこりゃあぁぁぁ!!
てれれてれれてれれれ〜〜。
拝啓、ジョン・アンダーソン様
ジョンさん、あなたのやりたい事ってこれなんですか。
それでは、あまりにも面白すぎます。
でも、爆笑オンエアバトルなら、オンエアは無理でしょう。
このハウの冒頭ソロだけがどうもアルバムからアイソレートしている。
でもインパクト十分であることも確かだ。もっとロックらしいものをやりたかったんだろうけど、意気込んだあまりに自爆してしまった。
ということで、このギターソロで「究極」のイメージを決定してしまった。
これにてレビューおしまい。
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えっ、こんなフザケタ形でレビュー終わらせるなって?
しょうがないですね。もう少し続けましょう。
アルバム中の楽曲全体がソリッドに感じます。それが時代の流れもあったり、機材の進化が起因していると思うのすが、特にウェイクマンのキーボードから伺うことが出来ます。
静かなナンバー「世紀の曲がり角」「不思議なお話を」にしても「同志」あたりに比べるとウェットな感じは薄くなったような気がします。
一方、ジョンのクリスタルヴォイスとクリス・スクワイアのゴリ押しベースは健在だったりします。クリスの作品「パラレルは宝」は「どんなに時代が変わろうがイエスはイエスなのさ」ということを語りかけてくれるようです。それに十分にロックなナンバーだと思います。私はこの曲で「究極」のダメージを癒すことが出来ました。
そうなんです。結局のところクリスがいればイエスになるんです。
職人肌のクリスがリーダーじゃなかったらとっくにイエスは空中分解でしょう。他のメンバーは脱退しても代えが効いたが、クリスだけは代用が効かなかった。あのジョン・アンダーソンがいなかったときも2人のトレヴァーで何とかなった(?)じゃないですか。クリスの代わりをあえて言うならジョン・キャンプなんだろうが、ほら、彼って嫌われ者だし。ルネッサンス再結成のときも声かけて貰えなかったくらいに。
私にとってのアルバム「究極」は、1977年というプログレ・HRにとって逆風であった時期に彼らがどのように取り組んできたかを確認する作品であり、一方、ソリッドな作風に変換しつつも根本的にイエスは何も変わっていなかったことも確認した作品でもありました。
それと、やっぱりクリスのベースはええのう。ということで。
以上っ
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このレビュー詠んでくださった皆様、怒んないでね。
(LAKESIDE)
DATE(2001/6/11)
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